友人が、ある国家試験に合格した

という吉報が飛び込んできました。別の友人から聞いたのですが、すっかり嬉しくなり思わず
なんでも「年内開業



」にむけて準備をしている最中だそうな。
すごいなー

。彼に対しては「なんかやりそうな懐の深さ」をなんとなく感じてはいましたが、こういう幸先のいい話は誰に起こった話であれすごく嬉しい。「開業」という思い切りのいい行動力にも脱帽です。オトコだなー。ズンズン前進

で行ってほしいと思います。
さて、
ウチの受験生

。行きました。いま試験中

。
なんとなく気になってるのか、今朝はいつもより早く

眼が覚めた。私が緊張してもしょうがないけど、なんかお腹痛いし

。今朝の家の中は、昔たしかに経験した「受験の朝」でございました。
今までは中学受験・大学受験・国家試験・ついでもろもろ資格試験と「受験するほう」が圧倒的に多くて「見守るほう」は初めて。
ただ、自分も数々の受験を繰り返して思うのに、受験の神様はとても平等で、必要な時に必要な試練とご褒美をそのつど与えるんだと思う。
中学受験に失敗して2年次編入試験で滑り込んだ時も、大学入試で第一希望合格が叶わなかったことも、それがあったからたぶんその先の「国家試験合格」につながり、今の生活につながってる。職業に直結する資格というのは、こういう時代ゆえとてもありがたいもの。あの時大変だったけど、頑張ってよかったと思う。
もちろんそれにどっかりアグラをかくことは無いつもりだし、あってはならないことだと思うけど。
バシッと合格、は大いに願うところ。でも不合格という見た目残念な結果も、長い眼でみればとても重要なステップ、だと思うのよね。
悔しい思いと、絶対獲ってやるという思い、そんな思いが自らを動かさないと答えは出ない。そう思う。
国家試験前の模擬試験、合格ラインスレスレの時のあの恐怖感というか悲壮感というか・・・。あんな思いを本番で繰り返すくらいなら、いま勉強したほうがマシ、とそんな感じで勉強してたもんね。
今のダンナの「自己啓発」もまた、今まで彼が歩いてきた人生経験の中でみえたある種の「到達点」だろうし。
私の受験のたび、うちのかーちゃんはまるで自分が受けるみたいに夢中熱中無我夢中

でしたが、今回、なんとなくその時の母の気持ちがちょっとわかるかなぁと思うようになりました。
ダンナの勉強している姿をみて、私が気をもんでもしょうがないと思いながら、ふと「これがもし、自分の子供が受験の時だったらどうかな」なんて・・・。
今以上にやきもきするのかな

。
けど、自分の「試験」に対する姿勢が確立したのも結局大学入ってからだったし、経験や思いを積み上げた結果わかったことだったから、「合格」「合格」それだけを周りがわあわあ急いてもダメ、受かったから全てがうまくいく勝ち組・・・とも言えないと思うしな。
そう思いながら、今の(傍から見ればささやかかもしれないけど)穏やかな幸せは、自分だけの頑張りとか、つい目先のことで始まったことではなく、今まで関わってきてくれていた全ての積み重ねで訪れていることだろうとありがたく思います。生きている者からの影響は勿論ですが、なんとなく、けどたしかに「かつて生きていた者」達からの恩恵をもしみじみと、ちょうど今美しく彩り始めた山々の錦秋

のように胸に響いてきます。
結婚して、妊娠して、これもまた経験でしょうか。独身のころはイケイケで思いもしなかったこんなこと。「思い」というものはいろいろと変わるものです。
ま、でもこんな思いをめぐらすなか、お腹の赤ちゃんはききわけがいいようで「パパ試験。まだ出ちゃダメ」をしっかり守り、チクチクピリピリはあるものの、今んとこハデな陣痛の気配ナシ。
・・・明日からはそろそろ「もういいよ、下に降りてきても」と声をかけながら動くことを増やすようにしないとな。
・・・お、あと30分で終わるな、試験。どんな顔して出てくるだろ。
半年あまりの彼の努力に、今日でとりあえず一区切りです。
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